職場に○○くんがいます
職場に○○くんがいます-200527
私の職場には まりおくん という
青年がいます。
そう、
彼の父親は スーパーマリオの
熱烈なファンだったのです。
時々、頭をバリカンで きッツーく
短く
刈ってきて つるつるてん に
なります。
その、横から見たシルエットから
いつも
いつも
正岡子規を想起する。
正岡子規といえば
「病床六尺」
以前、大河ドラマでみた「坂の上の雲」
を思い出す。
子規は、脊椎カリエスにかかって
激痛に耐えながら
時に床(とこ)からみえる 小さな庭をみて
句をよみ、
随筆をしたためた。
〈病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである〉。6尺は約1・8メートル。その狭い床からほとんど動けない生活がもう何年も続く。そんな厳しい病状から書き起こされる日記形式の随筆は、6月以降一日も休まず掲載された。
【明治の50冊】(33)正岡子規『病牀六尺』 病を楽しみ国の未来思う(1/2ページ) – 産経ニュース https://www.sankei.com/life/news/181022/lif1810220011-n1.html
定年後の生活を想像してみた
毎日が日曜日。
一説には、人は働き続けたほうが
健康長寿だという。
はじめは、「働く」ということが
ただたんに 会社に所属すると無条件に解釈
していたから、
そっーかーーー、
やっぱり会社で長く働き続けなければ
だめなのではないかと想像していた。
でも、
でも、でも、でも、
だとしたら 正岡子規は 働いていなかったのか?
ってなる?
「働く」を、生命を
十二分に 燃焼させて 生ききる
と解釈すれば どうだろう?
正(まさ)しく 子規は 働いていた
それも 猛烈に!!
だから
もっと 自由に 発送して
発送は 佐川急便かもしれんけど(これ、バリの兄貴のおやじギャグのパクリ)
もとい、
「発想」してみれば、
既成概念にとらわれた「働く」から
脱して 逃走して
みずからの 働く をすれば いい。
それで 良いのだ!(バカボンのパパ風)
そして 働きつづけて
熱中して 熱中して
気が付いたら
あれ????
あれあれ、あれ あれ
おれ、もしかして死んでた?
みたいに
生と死を 境目なく 乗り越えて
「自由への逃走」をするんだよ!
。(丸)
お わ り 。
noteにもアップ
https://note.com/lingmu0788/n/nc3cc01ac75e8
https://www.sankei.com/life/news/181022/lif1810220011-n1.html
“職場に○○くんがいます” に対して2件のコメントがあります。
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私は、昔から遊びと仕事の区別がつきません。
ただただ命を燃やしている、と言った感じですかね笑
いい意味の、公私混同で人生を楽しむのがいいですね!