自由への逃走について1

しばらくは、練習期間としてラフに思いつくままに記事を書いていこうと思う。ちゃんと推敲した文章は時間がかかるので、今は勢いを優先して書いていく。誤字脱字はあしからず。

仮のテーマは”自由への逃走”にした。

副題として、身体的、経済的、時間的、精神的な自由への逃走・闘争を掲げた。

逃走とう言葉は、逃げるという字が入っていてネガティブな印象を持つ人もいるかもしれない。ここで言う”逃走”とは、既成の概念、ルール、常識から離れてニュートラルな状態で物事を捉え直すことによて、自分にとって真の”自由”とは何かを追求するという趣旨である。

1970年代のアメリカで流行ったヒッピーカルチャーは、従来の権威に対するカウンターカルチャーとして存在していたように思う。ロック、ドラッグ等に象徴される従来の価値観への反抗があった。自分たちの理想を実践する小グループをつくって生活するコミューンなどは、従来のコミュニティーとは隔離された場所に理想郷を作るような活動だった。

これらも一つの逃走の形ではあるが、持続可能に社会と関わりを保ちながらする活動としては無理がある。

私が目指す自由は社会と関わりを持ちながら、それでもなを自由を目指す生き方だ。

副題に上げた4つの自由。身体的、経済的、時間的、精神的な自由はどれ一つ欠けても不完全な自由だ。自由主義経済社会に生きる人々にとて自由を得るために最も身近な要素は”お金”=経済的自由だ。お金さえあれば何でも出来そうで、幸福な生活をおくれそうな気がする。しかしながら、健康はお金では買えないし、時間も二度と返っては来ない。使いきれないほどの巨万の富があろうとも、精神的に満たされな生活をしている人は多くいるはずだ。

自由には、気ままに暮らして何の努力や苦労もいらないというイメージを持つ人もいるだろう。しかし、生きるとは瞬間瞬間の選択の連続であり、その結果として今の自分があるわけである。そう考えると、周りに流されて自分で選択しているつもりが、実は周りに選択させられていることに気づいていなだけなのかもしれない。
だから、真に自由に生きようとすれば、真に自分で考えて選択していく必要がある。それは、周りに合わせて波風立てずに選択していく生き方とは対極にある。それは”闘争”の連続になるはずだ。

自由への逃走は=闘争なのである。

Follow me!

自由への逃走について1” に対して2件のコメントがあります。

  1. 西条 俊生 より:

    とても良いと思う。ただ最後の自由、逃走、闘争のくだりはもう少し突っ込んで書いて欲しい。説明不足の感がある。
    例えを出して膨らませたりして説得力をました書き方をしてほしい。
    それがメーンイテーマなのだから。

    1. freeart より:

      コメントありがとうございます。
      自分の記事に対する反応を得ながら経験を積まないと、なかなか進歩していけないので有り難いです。
      あらかじめまとまった考えを書くというよりも、書きながらわいてくるイメージを確認、発見しながら書いている感じです。
      このテーマは一回では書ききれないので”自由への逃走について2”として、続きを書く予定です。
      今後、文体、表記方法、画像等を色々と変えながら試行錯誤して書いていきます。

コメントを残す

前の記事

artmandalaを開設しました

次の記事

自由と守破離