出会いのパスをつなぐ_その2

出会いのパスをつなぐ_その2-200711

前回の記事。

出会いのパスをつなぐ-200611
https://bit.ly/38QksfJ

以下、そのつづき

ZOOMで約40名の参加者でワークショップが行われた。
私の参加目的は、セカンドキャリアを選択する時のヒントにするため。

Zoomのブレイクアウトルーム (グループ分け) 機能を使った、3-4名のグループディスカッションが面白かった

Zoomのブレイクアウトルーム (グループ分け) 機能の使い方・オプション機能を徹底解説 | ビズシル https://blog.coubic.com/onlinelesson/zoom-breakoutroom/

ワークショップ自体の内容は、今まで自分が自分を突き詰めて、自分がなにを望んでいるかを掘り下げていく過程に似ていて、正直目新しいものは無かった。
しかし、生で、ライブで、
参加者と対話する経験は貴重だった。
講師はデンマーク人で、デンマーク人の通訳を通じてワークショップが進められていった。

私自身、デンマークについて高度な福祉国家という以外、とりたてて情報はもっていなかった。しかし、前回のブログで書いたように、明らかにコロナという緊急事態に対しての対応が日本とは異なっているのを感じる。
でも、言葉では表せない。

ワークショップ終了後の感想をメールで送付した。
以下、その内容をそのまま引用した。


お世話になります。
本日は貴重なプログラムありがとうございました。
facebookグループが使えないので、メールで送ります。

生涯教育について丁寧に回答して頂きありがとうございました。
私も、とても難しい課題だと思います。

私の意見を少し述べます。
現在、私は58才で段々と体の老いを実感する年齢になってきました。

これから年を追うごとに、今まで出来ていたことが出来なくなって
いくのだろうことが、自分の親を見ていてひしひしと伝わってきます。

子供の頃は成長のスピードが速く、年齢を重ねるごとに衰えていくスピードが速くなっていきます。
これが老いというものであり、自然の摂理だと思います。

今まで頭では分かった気になっていましたが、実は自分がその当事者になってみないと全然分からないものだと実感しています。その、意味で、今日だされた宿題である「自分の死に対峙して考えてみる」は、とても意味深長で哲学的な課題だと思います。
それに真摯に向き合わないと、無為に大切な若い時期の貴重な時間を浪費しかねません。

その上で、長寿が幸せにつながる、より価値的な老齢期の生き方について模索したいと考えています。

その一つのヒントが、「生涯学び続ける」ということだと思います。
江戸時代の儒学者の言葉があります。
佐藤一斎『少にして学べば、壮にして成すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず。』
私なりに解釈すれば、肉体は老いたとしても、学ぶ心を忘れなければ、生命はいつまでも瑞々しさを保って、死をも超越した永遠性をもてるという意味だと思います。
いかにも東洋的な英知の一つです。

そして、学び続ける時にポイントとなるのが、お互いに学びあう仲間がいるという事だと思います。それが、まさしく今日教えていただいた、失敗しても助け合う精神をもった環境、仲間の存在だと思うのです。

もう一歩踏み込んで論ずれば、お互いが学びあう同志であると共に、お互いに教え教えあう関係があればこそ、たゆまず学び続けられるのだと思います。
そういう意味で、皆が先生であり、同時に生徒である対等の関係が、特に老年期の学びあいに求められる要件であるように思うのです。

こういう考えに至った背景には、通信教育で大学を卒業した経験が大きく関係しています。私が卒業した通信教育学部には、「学は光、無学は闇なり」というモットーがあります。

私は教育者ではありません。ただのエンジニアです。
しかし今までの人生で一貫して学び続けてきました。
可能なら、Peter先生とZOOM等でもっといろいろと意見交換したいと思います。

皆様によろしくお伝え下さい。

おわり

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